続コンテナことはじめ

訪問者が1000人を超えました・・・
ずいぶん見てる人居るんですね。

前回の補足です。

 イ号コンテナは100個の試用に留まりましたが、ロ号、ハ号の150Kgコンテナは、合計で4500個以上作られ、運用されたそうです。このコンテナ輸送は戦時中、積載率の向上を理由に取りやめになりました。もともと小口輸送、絹など(足利、桐生、八王子などが取扱駅になっているのはそのためです。)を輸送していたそうで、需要も減っていたのかもしれません。
 戦後のコンテナは、これとは全く別物として、3トンコンテナ3000形が作られ、東海道本線での試用ののち、5000形が作られて、本格的なコンテナ輸送が始まるわけです。

 そのほかにも、日通が無蓋車に載せるかたちのコンテナを運用していたそうですが、そこまで広げたくないと考えていた上に、全く資料がなかったので、深く掘り下げないことにしました。